僕が小学生の頃、5つ歳上の兄のことが大好きでいつもあとをくっついてまわっていた。

お互いが小さい頃には、皆一緒になって遊んでいたけれど中学生ともなると、兄の仲間の輪の中に僕を入れてくれることはなくなった。締め出しをくらった僕はしょんぼりと弟と遊ぶはめになる。

少しぽっちゃりとした弟は僕の3つ歳下で、小さい頃から視力が低く分厚い眼鏡をかけていた。内気で大人しい性格ではあったけども、頑固な一面もあった。歳も割と近いので喧嘩することもあったが、落ち込んだ僕を励まし「一緒に遊ぼう」と言ってくれるような気の優しい子だった。

僕はそんな弟に「中学生になっても兄ちゃんみたいに追い出したりしないから。ずっと一緒に遊ぼうな」と約束した。弟はにっこりと嬉しそうに笑った。


時は流れ、僕は中学生になった。小学生の頃は外で遊ぶことが多く、エアガンで戦争ごっこをしたり、自転車を乗り回したり、秘密基地を作ったりしていたが、中学生になると遊びの主流はテレビゲームに変わっていた。


ある夏の日、友だちが我が家に遊びにやってきた。僕は人里離れた小さな村に住んでいた。友だちはみんな汗だくになりながら自転車で山を越えてやって来たのだった。それというのも僕が新作のゲームソフトを持っていたからだ。ゲームをしながら部屋でワイワイと騒いでいると、弟がチラッと部屋のドアから顔をのぞかせた。もちろん僕はかつての約束など忘れて弟が部屋に入ってくるのを許さなかった。〝やっぱりだめか〟といった表情で弟は肩を落として居間へと戻ってゆく。しばらくするとまた弟が部屋に近づく足音が聞こえてくる。僕は友だちの手前、いつもよりも余計に威張ってカッコつけたかったのだろう。ドアを開けた瞬間に「来るなって言ったろ!」と怒鳴りつけた。

ドアの前に立ちつくす弟は、怒りとも悲しみとも憐れみとも読み取れる目で僕をみつめていた。少し間があり、それから両手に抱えていたお菓子を僕らに投げつけて外へ走っていった。友だちは「可哀想だから仲間にいれてあげたら?」と言ってくれたが、僕は「大丈夫。ほっとけばいいんだよ」と強がった。遠くから弟の泣き声が聞こえていた。


しばらくして台所に麦茶をとりにいくと祖母がいた。祖母は僕に気が付くと「なんでハヤトを仲間にしてあげないの?」と悲しそうな顔をした。どうやら祖母は、1回目僕に入室を拒否され落ち込んでいた弟に「お菓子を持っていったら仲間にいれてくれるかもしれないよ」と慰め、お菓子を持たせ「きっとダメだよ」と嫌がる弟に「大丈夫」と背中を押し、送り出したのだという。

僕は弟を邪険に扱ったことを恥ずかしく思った。と、同時にかつて弟と交わしたあの約束を思い出していた。


その後、僕はあの出来事を忘れられずにいる。何十年経っても心のどこかに残っている。大人になり、弟の腕は、僕の腕の2倍ほどの太さまでに成長した。結婚をして、子供をつくり、家を建てた。

数年前に帰郷したとき、あの日の出来事を話したことがある。「祖母の話を聞いて〝弟に優しくしなくちゃな〟と思いながら部屋に戻ると、友だちが窓の外をみながらワーワー騒いでいる。僕も覗いてみると弟が庭に落ちている枝やら小石やら僕らの部屋に向かって投げつけていて、また喧嘩になった」という笑い話として。

弟は全く覚えていなかった。


今の弟の風貌は、かつての弟と別人のようだけど、僕にはかつての弟にしかみえない。

だけど25年という壮大な時間、そこに秘められた物語りが、その存在をより深いものにしている。僕しか知らない弟、弟しか知らない弟、お互いが知る弟、誰も知らない弟。幾千もの記憶を内包した歴史の最先端に立つ弟の断片の一部がいまの弟なのだ。ただそこにいる弟ではなく。


ひとを知るということは、そのひとの持つ謎をひとつひとつ紐解くことにあるのだと思う。

生活の中に佇む、見知らぬ誰かの想いや、温もりを、捜し当てるように。