僕が小学2年生のとき、中学生になったばかりの兄の後ろをなにをするにもくっついてまわり、ウザがられていた。高校生の頃には家庭裁判所のお世話になるような兄、口より先に手が出ることもよくあった。それでもとにかく兄のことが大好きで、泣き虫の僕には憧れの存在だった。


あれは春。記憶が正しければ5月中旬頃だと思う。日曜の午後だった。〝お母さんの部屋〟と呼ばれていた父と母の寝室に兄は僕を呼びだした。中学校の図書館で本を借りてきたのだという。真っ白でマットな質感のハードカバー。背表紙には銀色で〝あゝ無情〟と記されていた。兄は「すごくいい話だから読んでやる」と朗読をはじめた。突然のことで僕は驚き、なんだか恥ずかしい気持ちになったのを覚えている。

ただそれ以上に、時よりみせる優しい兄と時間を共有できることがとても喜ばしく、正直その印象が強くて、本の内容はほぼ記憶に残らなかった。


ときは流れて、兄は高校卒業と同時に上京することになる。湯沢駅で新幹線に乗り込む兄を家族で見送り、みんな無言のまま家路に着いた。僕と兄は相部屋だった。しわくちゃのベッド、タバコの吸殻、ビールの空き缶などそのままで、いまにも兄が帰ってくるような気がした。オレンジ色の夕日が窓から部屋を照らしていた。

はじめて経験する家族の別れに戸惑いながら〝別に一生の別れじゃないぢゃあないか〟

そう自分に言い聞かせた。でも次の瞬間〝もう一緒に生活すことはもうないんだ〟そう思うと涙がどっと溢れた。

いま考えると本当どうでもよいことだけど、初体験というものは心を大きく揺さぶるものだ。

その頃には僕も中学1年生になっていた。別れの悲しみは数日で消え、それが少し寂しくて、なんだか軽い罪悪感もあった。だからなのかはわからないが、図書館に行きあの真っ白な本を探した。〝あゝ無情〟は〝レ・ミゼラブル〟というらしかった。ユーゴーという髭が似合うフランス人が書いたロマン主義フランス文学の大河小説で、翻訳が違う分厚い本が何冊もあった。

僕はそれを全て読んだ。感銘を受けたものの、何冊読んでもジャン・ヴァルジャンのように心変わりする気配はなかった。


ときは流れて、数年前のマンションの一室。彼女が「レミゼのチケットとったから木曜の休みあけておいて」といった。「レミゼってジャン・ヴァルジャンの?」「うん。なんで?」「いや、むかし読んだなあと思って。

はじめ兄貴が読んでくれたんだよね、リーゼント頭で」「そうなんだあ。あたしむかしっからすごい好きだよ。特にジャベール!ミュージカルしかみたことないけど」「そうなんだあ。僕は本しか読んだとこないんだよね。もう内容忘れちゃったけど」「舞台やばいよ。観た方がいい。てか、チケットとったから木曜日あけといてね」「あーい」


このときを境に〝あゝ無情〟は、僕にとって運命の象徴のようなものになった。


レ・ミゼラブルのような大作を知る2人が出会うこともそれにまつわる思い出があることだって珍しいことじゃないし、本当に運命なのか、そもそも運命なんてものは存在するのかって話も重要ではない。


僕はあってないような毎日に物語りを付け加えたいだけ。


答えはなくていい。


幻は幻のまま、いつか意味を持つようになるような気がするから。