2018/07/14

娘が産まれ、父親になり半年が経った。介護の現場を退き、ケアマネ業を行うようになって半年が経った。作品をつくらなくなり、友達とおしゃべりをしなくなって半年が経った。そういえばSNSを離れてからも半年が経つ。大きく変わったこともあれば、全く変わらないこともあるのだけど、このへんで今の気持ちを残しとこうと、仕事帰り、電車に揺られながらスマホに指を滑らせている。

娘については世間で言われているような当たり前の言葉しか出てきそうにない。それでも敢えて言うとするならば、娘をみていると性善説を本気で信じたくなるほどまっすぐな愛おしさで僕の胸は張り裂けそうになる。最寄駅に着いたので一旦中断。

今は湯船の中。こうやって文章をつくる時間は限られていて、大抵は出勤退勤中の電車内か娘をお風呂に入れた後のこの時間くらい。あとは、娘がすんなり寝てくれたときなんかはその傍で少し時間が作れることもある。僕の一存で自由にできる時間は激減したけど、この不自由さになんだか懐かしさを感じている。昔の我が家を思い出しているのかもしれない。お母さんが僕たちに「早くお風呂入って!」とか、お父さんに「いつまで呑んでるの!片付け終わらないんだから!」とかよく言ってたなあって。さて、そろそろ授乳終わったころかな。お風呂あがって娘を寝かしつける手伝いをせねば。一旦中断。

人身事故で運転再開待ち中。通勤ラッシュにもだいぶ慣れてきた。溢れかえる人混みを眺めながら、それぞれの生活があるのだという途方もなさに若干引きながらも、あいも変わらず関わりについて考えたりしている。いろんなものとの関わりが減りつつある今日この頃、実のところ、それはそれで平気なんだと知る。人生無意味論者でありながら、その空虚感を埋めるために作品を発表し続けるという行為は極めて遊びに近い感覚なのだけど、今はそういう欲求はない。娘が産まれたことで一時的に何かが満たされているのかもしれない。ただ、創りたいという思いは相変わらずあって、、それは、僕が今、何を感じていて何を創るのかを知りたいという好奇心みたいなもの。僕の作品の一番のファンが僕なんだっていうなんとも悍ましい真実に、最近はそこそこ満足している。そろそろ電車が動き出しそうだ。一旦中断。

22時32分。娘を寝かしつけたあと晩ご飯を食べ、皿洗いを終えたので布団に寝転がり娘の寝息を感じながら薄明かりの中、妻がシャワーを浴びている音をぼんやりと聴いている。そういえば、ここ半年、家族以外の写真をほとんど撮ってない。先月まりあちゃんとご飯したときに3枚ほど撮ったくらい。あとは全て家族写真。妻は娘の写真を公の場にお披露目することを嫌っている。だから、僕もそれに倣っている。SNSにアップするのが良いとか悪いとかの問題はどうでもよくて、妻がしたくないと言っていることをしないということが僕にとっては重要なんだと思っている。大切な人の気持ちを無視してまで作品化したとして、これから先、僕に撮れる写真はあるのだろうか?ってこと。あ、娘が愚図りそうだ。一旦中断。

今日は誕生日。41歳になった。娘は先月末に胃腸炎になりそのまま風邪をひいてしまった。妻もうっすらと風邪をひいた模様で僕の誕生日どころではない。それでも数人の友人と両親からおめでとうの言葉をもらい、娘の鼻づまりを解消するため鼻水吸引器を買いに走ったその帰りに、お寿司を買って家族でささやかなお祝いをした。

あっという間に一週間経ってしまった。今は湯船の中。お湯がゆらゆら揺れているのを眺めている。ケアマネの仕事をしているとまだまだできていないことが多くてへこむ。そして、僕のやりたかったことに少しでも近づいているのだろうかと自問してしまう。前みたいに、人を感じて働けたら良いのだけど、まだ、人を感じてそれをプランに結びつけることができていない。

仕事帰り。久しぶりに駅からぷらぷら歩いて帰る。もう1日働けばお休み。新潟へ里帰りする。初の家族旅行なので楽しみだ。最近の心境みたいなものをまとめようと思っていたけど、結局とりとめもなくただ駄文を書き並べただけで終わりそうだ。なんとなく、もう少し日々のことを残したいなあとも思うのだけど、どうだろうな。陽が落ちてからも蒸し暑い陽が増えてきた。夏の夜の空気はいつだって若かりし日々の記憶を呼び覚まし、同時に人生の儚さを思い出させる。今日という日がなんらかしらの思い出になっていくとして、それはこの手のひらに残せるものではないけど、叶うことならば、誰かと笑いあえる思い出であってほしいと思った。